武蔵野 2017 11 26

秋が深まってくると、「武蔵野」を思い出す。

 武蔵野に散歩する人は、
道に迷うことを苦にしてはならない。
 どの路でも足の向く方へ行けば、
必ず、そこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。
 武蔵野の美は、ただ、
その縦横に通ずる数千条の路を
当てもなく歩くことによって、
始めて獲られる。

書名 武蔵野
著者 国木田 独歩  角川文庫

 秋が深まってくると、
私は、高校生の頃に読んだ「武蔵野」を思い出す。
 稲刈りが終わった「田んぼ」や、
収穫を終えた畑が続くと思ったら、
雑木林がやってくる。
 日が傾いてくると、
雑木林の影が長くなり、
やがて、夕日に染まる。
 そういう思いを心の中に描いた私は、
秋が深まっていくのを「武蔵野」に感じたものでした。

 最近の高校生は、本を読まない。
ある者は、スマートフォンで青春の時間を浪費して、
ある者は、受験テクニックを磨く。
 しかし、私にとって、「人生の秋」に思うことは、
人生最大の宝物は、高校生の頃に読んだ多数の本だった。
今でも、ふと思い出し、あの時の情感が戻ってくる。
 感受性が低くなった今は、
どんな本を読んでも感動は少なく、
ただ知識が増えていくのみである。

智に働けば角が立つ。
情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。
どこへ越しても住みにくいと悟った時、
詩が生れて、画が出来る。
「草枕」 夏目漱石




























































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